寺院の来歴
約五百年
小谷城下に始まり、長浜へ移りました。
日蓮宗 | 滋賀県長浜市大宮町
長浜のまちなか、黒壁スクエアからほど近い大宮町にある日蓮宗の寺院です。 境内には、豊臣秀吉の寄進状と、秀勝公ゆかりの笠塔婆・塚墓が残ります。 本堂は一九五二年に焼失しました。現在は仮堂で法要を営み、本堂再建への歩みを進めています。

寺院の来歴
小谷城下に始まり、長浜へ移りました。
長浜市の文化財
寄進状、石造笠塔婆、妙法寺塚墓です。
所在地・交通
黒壁・北国街道とともに歩ける距離にあります。
お知らせ
長尾山妙法寺の公式サイトを公開しました。寺院の歩み、市指定文化財、本堂再建、参拝案内をお伝えしていきます。
由緒・沿革
妙法寺が創建されたのは約五百年前、小谷城下でのことです。長浜へ移ってからも、 幼くして亡くなった秀勝公を弔う寺院という由緒を受け継いでいます。 境内には、豊臣家との関わりを示す史料と石造物が残ります。
寺伝
妙法寺は約五百年前、小谷城下で創建されました。のちに長浜へ移りました。
1576
境内の石造笠塔婆に天正四年の銘があります。妙法寺はこれを、幼くして亡くなった秀勝公を弔う塔として受け継いできました。
1586
天正十四年十二月八日付で、豊臣秀吉が寺領を寄進しました。その寄進状は、いまも妙法寺にあります。
1952
火災により本堂と旧蔵の秀勝公絵像を焼失しました。以後、仮堂で法要を営んでいます。
2003–04
長浜市教育委員会が塚墓を調査し、石造笠塔婆と塚墓が長浜市指定文化財となりました。
2008
十一月一日、湖北最大の飲屋街だった南片町で火災があり、十三店舗が焼けました。妙法寺では、現在の駐車場一帯にあった建物もこの火災で失われたと伝えています。
現在
仮堂で法要と供養を営みながら、墓所と文化財を守り、本堂再建に向けた検討を進めています。
妙法寺の文化財

天正十四年(一五八六)十二月八日付。豊臣秀吉による寺領の寄進を記した文書です。
天正四年(一五七六)の銘がある笠塔婆です。妙法寺は、秀勝公を弔う塔として受け継いできました。
二〇〇三年度に長浜市教育委員会が調査した塚墓です。調査報告書は『伝羽柴秀勝墓』と題されていますが、被葬者は確定していません。
再建構想イメージ実在の建物や、確定した設計図ではありません。
本堂再建
本堂を失ってから、七十余年。仮堂で法要と供養を続けながら、豊臣家ゆかりの寺院としてその歴史を伝え、長浜のまちなかを明るくする本堂の再建を目指しています。
現在は構想段階です掲載図は、2026年8月に作成した検討資料です。
妙法寺が目指すのは、仏教本来の意義に照らし合わせ、社会を益する場であり続けることです。約五百年続いてきたこの寺院が、次の五百年も同じように続いていってほしいと願い、本堂の再建を進めています。あわせて、法要や参拝の妨げにならず墓所と文化財を守れるよう、既存建物と駐車場のあり方も見直しています。
計画が具体化した段階で、進み具合をこのサイトでお知らせします。
所在地・アクセス
妙法寺は現在、仮堂で法要を営んでいます。 開門時間と駐車場の詳しいご案内は、準備が整い次第このページでお知らせします。
御朱印は、住職の体調により対応できない場合があります。 また、その場でお書きせず、あらかじめ用意した書き置きをお渡しする場合があります。
長浜市の指定名称は「妙法寺 塚墓(石囲い箱棺墓)」です。学術調査報告書では「伝羽柴秀勝墓」と題されていますが、被葬者は確定していません。 本文の沿革は、妙法寺で受け継がれてきた寺伝に基づきます。二〇〇八年の火災は、新聞見出しと滋賀県の消防防災年報で日付・市・被害の概要を確認しました。現在の駐車場一帯との関係は、寺院に伝わる話として記載しています。